丹後 天橋立のお土産・イベント・観光情報や地元の人しか知らない穴場スポットのご紹介!!スマートフォン片手に天橋立観光はいかが?|丹後の人気キーワードコラム
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- 天橋立もすこしずつ日常が戻ってきました
- 日本の故郷、伊根に帰ろう!
- 感染症対策!!しっかり手洗い、うがいを!!
- 美味しいがいっぱいの天橋立へ!!
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宮津シーサイドマートミップルがおすすめの理由
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- 宮津シーサイドマートミップルとは道の駅宮津に隣接して海岸側に建てられた複合商業施設です。
2階がショッピングフロア、5階がレストラン、そして3階4階が市立図書館のほかお子様が楽しめる保育士による子育て親子への支援施設「にっこりあ」もあり。
古い町並みが見どころの宮津には、コンビニなどが少ないので、地元の人間だけでなく観光客にもミップルはとても便利。
地元の特産品やお土産も販売しているので、観光でお越しの方はぜひ一度お立ち寄りください。
■宮津シーサイドマートミップル
〒626-0012
京都府宮津市浜町3012
TEL/0772-25-3100
・子育て支援センター にっこりあ(宮津市福祉・教育総合プラザ4階)
9時~16時半 (木曜日・年末年始は休館日)
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- 観光
インスタ映え!宮津のパワースポット観光
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- 真名井神社
元伊勢籠神社の奥宮で、別名を久志濱宮(くしはまのみや)とも云います。
「くし」とは霊妙なる不思議なパワーの源を意味し、現在はパワースポットとして多くの観光客が訪れます。
本殿の裏に約2500年前からそのままの形で祀られている古代の祭祀場「磐座(いわくら)」があり、豊受大神、天照大神をはじめとする神々が祀られています。
境内には「天の眞名井の水」という御神水が滾々と湧き出ています。
霊験あらたかな「眞名井の水」を汲みに、全国各地から訪れる人がたくさんいます。
「不純な気持ちでの参拝はお控えください」という注意書きが存在するほど、強力な気を発しているそうです。
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- みどころ
宮津、成相山成相寺の伝説に触れる
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- 身代わり観音伝説
京都府宮津市にある成相寺の名前の由来は 「願う事成り合う寺」 という意味です。
その昔、一人の僧がこの辺りで修業中のある日、大雪のために通行は全く途断えて、何一つ食べる物がなくなってしまいました。
餓死寸前の憎は本尊に「お助けください。今日生きる食物を施してください」と祈ったところ、傷ついた鹿が現れました。
肉を食べてはならないという戒律があったのですが、命に変えられず、鹿の腿(もも)を鍋の中で煮て食べました。
雪が止み、僧を心配した村人が訪れると、堂内で本尊の腿(もも)が切り取られ、鍋の中に木屑が散っているのを発見しました。
それを知った僧は「観音様が自分を助けようとして、傷ついた鹿の姿になった」と感じたことからこの寺を 願う事成り合う寺「成合(相)寺」 と呼ばれるようになったそうです。
成相寺
所在地: 〒629-2241 京都府宮津市成相寺339
電話: 0772-27-0018
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- みどころ
大江山の伝説、酒呑童子
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- 大江山の鬼伝説
丹波と丹後がまだ分立せず「大丹波時代」といわれた古代、この地方は大陸の文化をうけ入れ、独自のすぐれた古代文化をもっていました。
しかし、平安京が政治の中心となってからこの地方は、都に近い山国として日本の歴史の中で、王城の影の地域としての性格を色濃くにじませるようになってきました。
隠田集落であると伝承する山里が散在することは、そのことを如実に物語っています。また、王朝時代、大きな役割を果たした陰陽道で、乾(北西)は忌むべき方角とされたが、当地は都の乾の方角に当たっていました。
酒呑童子や羅生門の鬼に代表されるように、京の都に出没する鬼は、王権を脅かす政治的な色合いの強い鬼といえます。
天皇が勅命を下し、武将に鬼を退治させる物語―それは、王権が自らの権力を誇示し、その物語を通して王権を称掲する手段にしようとして、つくり出したものではなかったのか、もしくは中世に入り、地に堕ちた王権を支えようとした人々の願望としての王権神話ではなかったのか所説あります。
丹波山地の中で、もっとも著名な山であり高山でもある大江山連峰―時代によって与謝の大山、三上ヶ嶽、御嶽、大江山と名をかえつつも、丹波と丹後を扼する要地にそばだってきた大江山―ここに鬼退治伝説が三つ残されていることは偶然ではないのかもしれませんね。
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- 観光
歴史ロマン。与謝野町の古墳散策
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- 蛭子山古墳
与謝野町立古墳公園は、国史跡蛭子山古墳と国史跡作山古墳を1600年前の状態に復元整備した古代歴史公園です。
蛭子山古墳は古墳時代前期後半(4世紀後半頃)に築造された、全長145mの大型前方後円墳で京都府与謝郡与謝野町字加悦・明石にある丹後地方最初の大首長墓です。
古墳は昭和4年に調査され、翌5年に国史跡に指定されました。
その蛭子山古墳と谷一つ隔てて位置する作山古墳は5基の中型古墳で構成され、古墳時代前期後半から中期前半(4世紀後半から5世紀前半)にかけて築造されたものです。
5基の古墳はその墳形が、円墳、方墳、前方後円墳というように、古墳の代表的な形がそろっていて蛭子山古墳と同時期に調査、国史跡に指定されました。
この復元整備事業はまず各古墳を発掘調査し、次にその古墳の上に土をかぶせて遺構を保護し、その上に調査成果に基づいて築造当時の古墳を正確に復元したものです。また、はにわ資料館には町内から出土したはにわや副葬品などの実物資料を展示しています。
網野銚子山古墳(京丹後市網野町)・神明山古墳(京丹後市丹後町)と合わせて「日本海三大古墳」と総称される。
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